30年前のことである。六本木で日本語会話教室を開いた。今と違って教材も無く、独自で手作りした。生徒さんの募集も手描きポスターだった。一番弱ったのは、私自身の言葉の訛りである。私は九州の出身だから、アクセントがすべて前に来る。橋も端も、買うも飼うも全て同じ発音になってしまう。今思うと赤面ものである。ただ日本語に対する情熱だけは人一倍強かったからか、大使館の書記官や外国人教授、特派員らが集まってくれた。出来の良い生徒さんから逆にアクセントの講義を受けたことも何度かある。身勝手な解釈が許されるならば、ダメ先生、よき生徒一体になった国際交流教育ではなかったか、と思う。
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